その315

 何かがある。それはあるが、それだけがあるのではない。それがあるというのは、それがあると焦点を絞るからで、認識しようとするから、それがあることになるが、それだけがあるのではなく、その他のもののそれぞれが主体となって実在している。それぞれが主体であるとき、それぞれの主体はそれぞれの関係性を抱いて実在していると考えられる。それぞれの主体はそれゆえに、さまざまな関係性の一部となっている。何かそれ自体は主体でありつつも、客体である。あらゆる客体はむろん、主体である。主体の総合が大いなる客体として実在するのかどうか。 存在するすべてを含んだ世界は一個の原子のようなもので、総合されるがゆえの現象が何か起こっているのだろうか。個別だけでは起こり得ないことが存在のすべてを合わせた時に起こることがあるのか。存在のすべてはそうせざるともつねに総合された実在であり、それゆえの現象はつねに起こっている。起こっていることが存在の総合が原因になっていると突き止めることができるかどうかが問われている。

 存在の流れはいったいいかなる姿であるのか、その全容がはっきりと理解されることはないのではないか。ネットワークがどのようにはりめぐらされているか、目に見えない次元の現象をどこまで捉え切ることができるのか。起こっていることを頭で考えて可能性を感じることはできる。実際にそのように動いているかどうかを確認することができる。確認できることがあれば、可能性として考えられても確認できないこともある。確認できないことはあるのかどうか、それは定かではない。わからないが、そうかもしれないことも私たちにとっては現実である。