その349

 現実とはそのリアルタイムに起こっていることのすべてである。起こったこと、起こっていること、起こるかもしれないこと、そのいずれもが現実であるが、物質として存在するのは起こっていることだけかもしれない。起こったことはもはやどこにもない。起こるかもしれないこともどこにもない。いや、どこにもないは言い過ぎだ。頭の中にはある。頭の中に物質としてある。頭の中に物質としてある過去や未来のことは意識のうちにイメージとしてある。意識といった現象があることで実在にしないことをイメージする力がこの時空に存在することを可能にしている。頭の中で起こっていることが意識のうちでいくらでもイメージされる。そのイメージは頭の中にある物質的な現象を起点にしている。とある物質的な現象が生み出した現実が意識として実在し、そのイメージがある。意識がもつイメージはどこにあるのか、定かに感じられないのは、意識の実態がはっきりとしないことによる。実在する個物がそれ自体としてあるとき、そこにはそれぞれのメタ認知が働いている可能性がある。個物はその機能により実在すると考えたとき、機能するためにはそのもの自体を意図的にコントロールする力が必要ではないか。人間のだれしもが意図をすることなくただぼんやりと存在するようではその実在は危うい。他の動物も同じではないか。では、川を流れる水はどうだろうか。ある種の構造や機能を持っていると考えたとき、それはなかなかに限定的な実在であり、存続するためにはそのメタ認知が必要ではないか。水は水であるために自らを保とうとしているのではないか。その為に自らを捉える必要が少しでもあるはずだ。そのときに生じるのが意識ではないか。メタ認知機能が意識の本質ではないか。