その404

 あらゆる実在は問われて然るべきか。神ならどうか。神とは何かと問うたとき、万物を司る主体とでもいえるかもしれない。では、いかに司っているかについて答えられるだろうか。神がどのように行為したうえで万物を司っているのか。神の実態について明らかになることはないと考えるべきではないか。神とは神であり、いかなる実在かを問おうとも一切の解はない。であるが故に神は神なのではないか。つまり、存在するとしても、それがいかに、そしてなぜ実在するのかまったくもってわからないのが神の実在を意味するのではないか。ただいるわけではないが、いかなる実在かいっさい分からないことが神を神とする。あらゆる問いを受け付けない。いかなる問いを受け付けないのは、いるかいないのかもわからないといった意味においてもいえるのではないか。問おうとも、いるのかいないのか、あるのかないのか、それがどうしようにも答えられない実在。それゆえに問いはつねに無効である。あらゆる問いのうちに、神に対する問いだけは、いくら問おうとも、その答えを持ちい得ないといった意味で、神にまつわる問いはいっさい無効ではないか。

 いつしか解の見つかる可能性がある問いとはちがって、神についての問いは、神の実在が人知を超えているといった意味で、解の見つかる可能性が永遠にゼロであって、それ故に、原初的な意味おいても、神にまつわる意味は永劫的に無効ではないか。

 いることを前提にして問うこともあれば、いないかもしれない、いるのかいないのかについての問いがまたある。神については、それを認識できないといった意味からすると、いかに問おうとも解が明確に提示されることがまず最初においてない。いるいない論争をまず片付けてからでないの、神の実存について問うことはできないが、いるかいないのか、その結論がでることはないとき、どんな問いも唐突に過ぎ、文脈にいっさいのっていない。幻について考えて、答えたところで、創作の話にしかならない。実際にはどうか、そんなことは知らない。