その403

 関係性それ自体があるのであり、何かがただそこにあることはない。関係性の運動により、何かが実在し、それは関係性を生み出しているのだから、世界はその変化の真っ最中にある。変化の真っ最中になるすべてはその移ろいにあるわけだが、なぜ何かは止まるところを知らず、動き続けているのかについて、その実態の説明を完全に成し遂げることは可能か。そのためには原因のない何かが実在しなければならない。あるからある。それが、私たちに理解できないから、実在しないというのではなく、ほんとうに、そして永遠にどうなろうとも、それがあるからある。そんな事実がどこかにあるだろうか。そんな事実が絶対の事実であることをどうすれば絶対だと断定可能なのか。事実はそれが事実であっても、さらにその向こうに問いがあるのではないか。問われることのない、問いを一切受け付けることのない事実は実在するだろうか。つまり、私たちがどうやっても問うことのできない事実が絶対的に永遠に実在することは可能だろうか。

 問われ続ける限り、それで完結した絶対の事実は実在しない。あらゆる問いにすべて答えきったうえで生じた事実があるなら、その事実はそれ以上問われることはないが、あらゆる問いとはそれ自体が事実をベースにできている。事実は存在の運動により次から次へと生まれていく。事実が産まれ続ける限り、対する問いに終わりはないのではないか。その変動にある世界は事実を生み続ける。事実が変動する限り、対する問いが新しく発生するのではないか。世界の変動に続いて世界は問いを生み続ける。永遠にそれは続く。事実の変遷が実在しなくない世界は実在しない。変化するから何かがある。なにもないのではなく、何かがあれば、それは運動し変化していき、問われ続ける宿命にある。問おうとする主体がいないのであれば、問いはないかもしれないが、あくまでもこの話は、私たち人類がいてこそ。人類が実存的にどのような認識をもち、文明をさらに発展させていくか。そのための問いには終わりがない。