その131

 認識対象の実在は、それが対象として着目されたとしても、それ自体が関係性のうえで実在しているので、対象自体の実在が不完全である。対象はそれ自体で成立しないのではない。対象としたものごとが関係性のうえで実在しているので、その運動のあり方の全体を捉えることはできないことを考えたとき、対象の実在は否定される。しかし、認識を得ようとしたとき、対象の成立が前提となる。

 対象不在の認識とは何か。認識自体が、その対象の運動に合わせて動くなら、対象の認識を持つことになる。対象自体の運動を認識主体の運動により把握したとき、認識対象と認識主体が渾然となり、それはその認識において全体なのか。認識が全体性を持つとき、その認識はその領域内で起こっていることのみに限定された結果になる。

 認識は限定することで獲得されることであるとき、その領域の外とは何か。存在が認識対象であるとき、存在の広がりにおける関係性の連鎖のありようが不明であるなら、認識はつねに不完全でしかない。それがりんごだとはわかっていても、それがいかなる現象なのか、その一部始終を捉えたと言い切ることができないのは、存在のありようのすべてが理解されないことによる。認識は全体を持たない。常に不完全である認識はそれでも完全性に向かって運動をしていくのか。