その583

 精神内物質とは、その意味するところが精神の内側にしかなく、実際のその意味するところを体験することができないといった存在だ。精神内には確かに実在するが、それは単に観念として実在するに過ぎない。たとえば未来といった観念が確かに精神の中にあっても、その意味するところがそのまま現実の実質において実在するわけではなく、どんな人であっても体験できない。それは単に未来を思い描くことができても、その未来を体験することはできないことを意味する。未来を思い描くとき、それは単に未来ではない何かを思い描くといったことを意味する。いまここではないどこか遠い場所を思い描くのと同じように未来を思い描く。あるいは、過去のことであっても思い描くことがある。実際に体験できるわけではない過去について思い描く。我々にとって思い描くとは何か。その場で見えていること、聞こえていること、匂いがしていること以外のことについて思い描く。妄想する。実際にはどうか。

 精神内物質としての未来は物質的でもあるが、物質的でもない。未来を思い描いたとき、その中身が物質的にある。それは精神の外に向かって拡張されるが、思い描かれた未来それ自体の純粋な姿は精神の内側にしかない。精神の外は精神の内と比べれば、雑だ。純粋に思い描かれた未来の姿が精神の外にでることでさまざまな目に遭う。雑味を帯びる。純粋さこそ実体を示すものだ。それそのものとしての未来は物質的には精神の内側にしかない。精神の外にでた未来は精神の内側の未来とは異なっている。