その370

 意味なき世界には何もない。完全に無だ。それは世界ではない。世界なるものがあるためには最低でも一つの意味がいる。もっとも始めの世界にはひとつの意味があった。それは生まれたのか。さしあたり、そう考えてみることができるだけの話であり、世界に始まりがあるのかないのか。まずはそこから考えていかなければならないが、考えてみたところでそのありようを実際に確認することができない以上、世界には始まりがあるかもしれないしないかもしれない。終わりだってそうだ。あるかもしれないし、意味が完全になくなってしまうことがないとするなら、世界には終わりはない。むろん、それを確認することができる誰かがいるはずだとは思えない。世界はつねに私たちに認識を超越して実在する。いかにあるか。少しわかる範囲がある。わずかかもしれない。わずかでも知ることができているだけでなかなかのことではないか。世界の究極のありよう、それは確かに事実としてある。それがどんなものか、そのすべてを理解しているのは神だろうか。否、神はいないなら、存在する物事のすべてそれ自体がそのように存在することでそのように理解されているといっても過言ではない。あるがままあるようにある。そのことが真実の束となって世界を作っている。どうなるか、それは総合的な現象として捉えたとき、相互反応にある。つまり、未来については世界そのものからしても知り得ないのではないか。