その352

 私がいて、意識がなければ、私は私がいることを知らない。私としての活動はある。動くことはある。何らかの運動のなかに投じられた身であるのだから、意識がない私であっても、動くには動く。存在すればそれは動く。しかし、意識があることで動きをいくらか操作できる。左に向かうはずだったのを右に変えることができる。それを可能にするのが意識ではないか。仮にそうであれば、樹木であっても、意識的な運動をその生存のために行なっているのであり、意識を持っていると考えることができる。