その351

 何かがあり、それ自体が所有する関係性が意識をうむのではないか。それ自体になぜ意識があるのかは、それ自体が関係性のうちにあるからではないか。それ自体でありつつも、それ自体ではないことから影響を受けて、それ自体として実在するとき、それ自体とそれ自体ではない何かしらとのあいだに意識が生じるのではないか。それはなぜか。

 個物がひしめき合って実在する世界において、単に個物がそれぞれにあるのではない。複雑な関係性を築き上げながら、それぞれがある。何もかもが動いているなかで何かがあるとき、それ自体と世界とのあいだに何かしらが発生する。ズレというか、齟齬というか。ズレの部分を補い合いながら、それぞれがあるのだろうか。それぞれの実在は、その周囲との関係性如何によって決まる。関係性について捉えようとする働きがそれぞれが実在するためには必要なのではないか。それ自体であるだけでは実在はできず、あるいは、それ自体がうみだす関係性の運動がこの実在世界のなかにあるとき、それを意識と呼ぶのだろうか。何かがあるだけではなく、それがいかにあるか、その実質を自覚的かつ無意識的に捉えようとする働きが意識といった流れを生んでいるのではないか。