その309

 認識が透明であること。それは、実在する認識がその枠組みを超えていることを意味する。枠組みを超えた認識とは、非形式的認識であり、形をもたない認識のこと。形を持たない認識にはそれでもその姿があるのか。認識とは存在の全体にわたって実在するわけではなく、限定的だ。つまり、存在の全体からどこかの部分を切り取ることになる。それゆえに、その姿がある。形はないがそれがそのようにあるといった姿とは不定形であり、つまりはカオスということができないか。それがいかにあろうと姿はある。形のないものの姿はカオスと呼べ、それは関係性により構築されている。つまり、関係性のあり方において、その不連続がカオスである。関わり合っている。しかし、形を持たない。形はなくとも、そも関わり方においては姿がある。飛び飛びでも、そのようにあるなら、そのような個別の領域が相互の連関とともにあるのではないか。