その274

 何があるのか。あるものはすべてある。ないものはない。なくともあるようになる。あるものもなくなる。あるかないか。認識内において、ある、や、ない、とする場合、領域が設定された話になる。認識内においてあるのであり、ないのである。それは認識内存在となり、領域が設定された上での話は、あらゆる認識は認識内での話に過ぎない。それがそのまま存在のピュシスかどうか、それは違うと考えたほうがいいのではないか。固定された実在がそのまま存在の運動にあてはまるとは考え難いことから、認識と存在がどこまで一致しているか、その確証をとることは難解である。

 存在のあり方は、その法則によるところと、そうではない、カオスにある。カオスもまた認識上においてのカオスであるのか、それとも起こっていることのすべてにはその法則が発見されていないだけで、あるにはあるのか。万物は法則に貫かれているのか。認識上のカオスにもはっきりとした法則が見出されることがありえるのか。カオスがカオスであるためには法則があってはならない。認識内においてその法則が見出せないことから、存在はカオスであると捉えるが、それは認識内部で起こっていることに過ぎない。存在はそのようにありのままにある。ありのままにある何かそれ自体に法則がないまま動くことがあるのか。存在の一切は形式的なのではないか。姿だけあって、形のないものはないのではないか。