その310

 関係していれば、それは個別化している。関係しているか、してないないか。ある瞬間を取り出せば、そのいずれかでしかないが、ある瞬間を取り出した状況とは私たちが認識をすることを意味する。認識とは、存在の流れから、ある部分を取り出すことを意味する。実際は止まっていない。流れの中では実際に存在はどうなっているのか。関係しているか、関係していないか、の2通りだけの事実を持つのではないのではないか。では、その中間にどんな関係が実在するのか。

 触れているものと、触れていないものがある。そのいずれでしかないのか。触れようとしていまだ触れていない瞬間からさらに時間が経過すれば触れたことになるとき、触れていない状態から触れる状態になるまでのあいだに起こっていることのうちに、触れているようでいて触れていない状況があるのだろうか。触れているようでいて触れていない。もしくは、触れてないようでいて触れている。この二つの言語化されたあり方が実際においていかにあるか。ミクロの状況において生じる、単に定義の問題となるのか。この状態だと触れていて、この状態だと触れていない。と定義されたとき、それに反することが起こり兼ねない。つまり、言葉ではどうすることもできない状況があるのか。かりに、存在のもっとも突き出た場所同士が相互にもっとも早く触れる場となるとしたとき、それがどの場になるかは、実際に触れた瞬間にしかはっきりとしないことが考えられる。結果だけがある。