その303

 認識といった一個の空間があるのではないか。認識された何かが入っている空間があり、それはそれぞれが一個の主体となり、その総合された場が空間内にあると考えられないか。認識場とでもいおうか。認識場は一個の実在だが、時空間において、それぞれ個別に実在する。個別に実在したうえで、その関連にある。まずは単独で認識場があり、かつそれは運動にあり、他の認識場との交流の最中にある。離れたところにそれぞれある家がそれでいて関連にある状況に似る。認識場は総合すれば一個の場となるかもしれないが、運動の状況にある認識場の総合した実情を認識できるとは考えられない。認識できないことがあるのではなく、認識されていることを他の認識場から認識され得ないことがあるといったこと。認識は認識されることで認識となるが、認識として存在することが他の認識にとって、隔絶された場にあることがある。同一の地平にある認識場はそれぞれをかき集めた姿が想像されるが、現実にはそれが総合されることはないのではないか。頭のなかで思い描くことはできても、実際にその現象が起こるかいなか。実際に起こっていることは起こっている。起こっていることが起こっているのであり、起こっていないことは起こっていない。頭の中で思い描かれたあり方は頭の中で起こっていても、実際には起こらない。認識場には、空想ではなく、実際に起こっていることにおける起こり方が描かれている。物事のあり方が記述された場をもってして、認識場と呼べる。知っていることが刻まれた場がある。認識場をもとに世界は作り替えられていく。