その132

 全体を持たない認識は認識として成立するのか。認識とは運動する存在を止めることで成立するものではないか。実際には止まっていない存在を認識はいかに止めるのか。認識それ自体は止まっていることで認識される。止まっていないものは動き続けるが、動き続けていることをそのまま認識することはできるのか。認識と考えることはできるのか。数値の変動をそのまま追いかけることもまた認識なのか。一瞬の停止もない場合、数値と数値のあいだに捉えきれない数値が実質的に実在すると考えられる。認識可能性には限界がある。言葉にも数値にも置き換えられないことが存在の運動には込められている。運動の一部始終を捉えても、把握可能な領域のみを認識とするのみで、それ以上の広がりを持っている可能性がつねにある。認識とは認識可能領域における認識であり、その拡張が行われている。認識可能領域の拡張には果てはない。認識が認識を超えていく。