その86

 外部が即座に内部であるとは、何かを基軸しにしたときに生じる外部は存在の流れの中では外部それ自体もまた基軸であり、基軸自体からするとそれ自体は内部である。あらゆる個物はそれ自体であり、それそのものはすべてがそれ自体であるといった意味での内部である。内部の連続が存在の流れである。存在とはそれが実際にあることにより現実となるが、存在するものは非存在に対して、それらすべてが内部である。存在内存在である存在はすべてがそのものとしての内部である。内部の連続とは一切の外部を排斥するか。内部の連続のなかに外部からの新しい実質が生じる。あらゆる内部はつねに外部からの情報を受け取ることで、その変遷にある。内部の運動は外部との情報交換にある。外部との情報交換を含んだ内部は純粋な内部ではない。純粋な内部は存在しない。内部に内部を含んだ存在か。内部に内部を含むことで内部は内部であり続けているのか。果てしのない内部があるばかりで、外部と思われる何かもまたすでに内部ではないか。存在はすべてが内部ではないか。存在にとっての外部とは私たちの精神における幻想性ではないか。私たちの精神による認識上に存在にまつわる外部があっても、存在そのものの物質性には外部はない。あるものがあるだけだ。あるものがあるだけであることとは存在するものの状態がつねにすべてが内部であるといった意味である。