その75

   まだ起こっていないことに関して、起こりうる状況を孕んでいるとき、可能性があると言える。まだ起こっていないことが絶対に起こりえないとき、可能性がないと言える。可能性とは、想像されるできごとが起こるか起こらないか、起こるならどの程度かなどを考えるときに用いられる概念である。可能性そのものは私たちの精神活動のなかに実在する。可能性について考えることで何らかの予見をする。それで社会が動く。推論でもある可能性について考えた結果がそのまま社会の動因となるとき、実際に起こっていないことでも実際の社会における物質性を孕んだできごととして、組み込まれている。いまだ可能性の段階であっても、その推論を元にした社会構築があり得る以上、可能性はそれが起こる以前からその意味を現実に投じている。

   可能性を抱くことは現実の一旦となる。可能性を抱けないことについて私たちは認識できるだろうか。可能性を考えることで現実を思い描くのではないか。現実は起こったことばかりではない。起こったことから現実になると考えられるが、起こっていないが可能性としてなら考えられることを私たちが考えた時点で現実はそこにできあがっている。私たちは可能性について考えていかないといけない。

    起こりえないことでもそれは可能性について考えた結果でた結論である。それはロゴスである。想定されたすべての現象はその時たしかにロゴスとなった。ロゴスはそれがいかなる状況にあっても紡がれた瞬間に現実となる。あり得ないことがロゴスとなったとき、そのロゴスが存在することをどうして疑うことができるか。いかに荒唐無稽であってもロゴスになったなら、その荒唐無稽さそのものが現実となる。