その42

 始まりがなければ存在は存在し得ない。始まるための要因は、始まろうとすることの外部にある。はじまっていないときの状況が始まりをうむ。何かが始まったとき、始まるための要因が出そろったと考えられる。始まるための要因は始まることの外部であるが、そのすべてを外部と考えていいのか。始まろうとすることの内部性に対して、その内部はすべて外部からできたのか。始まりはいつも外部からか。始まっていないことには外部も内部もないと考えられるが、始まった瞬間とは、外部の内部化といっていいのか。その時、外部とはカオスであり、内部とは秩序だろうか。ある始まりとはある秩序の始まりではないか。

 内部とは秩序であり、内部の秩序に対して外部は混沌か。りんごの外部には秩序がある。カオスとは何か。存在はそのすべてがカオスではないか。秩序だって見えるものの内部はカオスではないか。一個の系であるりんごはうごめきにある。運動する系はその秩序だろうか。秩序とは何か。絶対的な枠組みか。他の介入はそれでもある。秩序は外部を含んでいる。外部を含んでいる秩序は内的な混沌にないか。内部は内部だけからできあがっているのではない。内部とは何か。外部を礎にある内部はその礎以外の外部も含む。内部化された外部はすでに内部か。内部としか呼べない内部とは存在するのだろうか。