その30

 世界がひと繋がりだとしたらと考えることができるが、私たちは認識であり、その主体である。私たちは私たちの認識内存在であり、認識の外にも世界は広がっている。少なくともその可能性は常にある。世界をひと繋がりに考えるとき、考える主体である私たちが一連の認識を感覚的に持っていることが原因し、世界をひと繋がりに考え、感じるのではないか。一本の線が私たちの認識ではないか。その線をひと繋がりと感じることで世界もまたひと繋がりにあると考えるに至るのではないか。世界とは端的に私たちの認識の仕方が投影された姿であり、その限りでしかない。ある見え方がある。それだけのことではないか。更なる拡張にある認識も所詮、地球全土のことを捉え切ることはない。どれだけ情報が細部にわたって明かされていっても、知るためには時間を費やさないといけない。時間に対して情報がどれほどあるか。存在のすべてが情報である。あらゆる細部に潜んだ情報の活動が存在を埋め尽くしているのを私たちにどうすることができるようか。