哲学日記

ラビリンス

その181

 りんごのなかでりんごの成分がりんごについて考えることとは何か。りんごの成分はりんごのことを考えているから、りんごの成分であることができる。りんごの成分はりんごについて考えさせられる存在であり、りんごの成分である以上、りんごについて考えざるを得ないように、存在の一部である私たちは存在について考えざるを得ない。存在であるにも関わらず、存在について考えることなしに生きることは可能か。考える内実を存在以外のこととすることは可能か。考えていることはすべてが存在についてではないか。存在以外のこと自体が実在するか。実在する何もが存在であるとき、実在しないものであっても、存在に関わることであるのであり、存在である私たちは常に何かしらを考えるが、そのすべてが存在についてである。存在しないものも含め、思考対象は全てが存在についてである。

考える行為それ自体もまた存在である。存在それ自体の運動である思考は存在との関連にある。思考とは、その主体がその外部との関わりにおいて実在する。存在する限り関係性のベールがはぎとられることはない。関係性のベールにくるまれた何もが、関係性をつむいでいる。思考とは関係性により生じる運動である。言語を介在とし、言語に端を発する思考も非言語との関連にあるのであり、非言語を端に発する思考もまた存在する可能性がある。言語の絶対性は明確であり、確からしさがあるが、思考に介在した言語は思考のプロセスの一端にすぎず、始まりかどうは定かではない。ある思考の発端がどこにあるのか。思考は存在についてであり、存在が存在することが発端なのであれば、言語は途上での関与となる。