その34

 なぜ場が存在するのか。場とは何か。何かしらの系だとしたら、系に内部と外部がある。領域として定まることが存在するとき、その領域には領域外が実在しないと領域の成立がない。りんごがりんごであるための領域がりんごか。それはどこまでか。存在のすべてが存在するためにりんごがどこかに一個あるのではない。どこかのりんごがなくなっても他の何かがその場を埋める。場とは系なのか、それとも時空間における存在の在り処か。存在のために必要な時空間があるためにりんごはその広がりを得ているのではないか。時空間とは存在の箱であり、概略があるから存在はその系を示すことができるのではないか。存在のすべてが含まれた広がりを概略系と呼ぶことができる。震えである万物が存在の一切であるとき、確固とした実在があるのではなく、概略をもつ系がもつれあっている姿が存在の一切ではないか。系は私たちに見出されるものばかりではない。私たちに知られることのない系が実在する可能性がつねにある。系を示さないと機能しない。系とはつまり機能のことである。さまざまな機能の総体が概略系としての世界ではないか。繋がりを紐解いていけるだけ紐解いていったとき、情報空間が完全に明るみにでることはあるか。存在する限りの系の全ての運動がリアルタイムで確認んされることがあるか。因果とは概略系の全容の解明とともにある。いかなる形式をもったうえで万物は存在するのか。形式を持たない存在は点にすらならない流体か。流れがある中に形式をもつ概略系があるのではないか。