その407

 分かっていることがそれで完結した事実ではなく、分からないこととの繋がりにある可能性がつねにある。であれば、分かっていることはほんとうに分かっているのかといった問いが生じる、その必然にある。問われてしまったら、その時点でほんとうかどうかがわからなくなる。あらゆる問いを受け付けない事実はあるのか。分からないから問われないというのではなく、問い自体がどうしようとも思いつかないことがあるのか。むろん、万事万物は時間とともにある。問われることのなかった事実がいつしか問われることがあるものではないか。少なくともその可能性はつねにある。どれほどの時間を費やしても問われることのない事実があるのかどうか、それは永遠に定かではない。時間はつねに私たちの認識の先にある。何かがある限り、そして私たちがいる限り、いつしか問われることのなる普遍の事実がある。普遍がほんとうに普遍であるか問われた時点で普遍かどうか定かではない。