その594

 確かなことが事実であるとき、事実は言葉だけではない。言葉としての事実と、言葉ではない事実がある。認識内にある何かはすべてが言葉ではない。なんとなく感じていたり、思っていたりすることがある。それがそのように思われていることは事実であり、それをはっきりとした言葉にしたとき、その言葉で表現されたことがそのように思われていたことのすべてを現しているだろうか。何かについてそのように思ったとして、その全体それ自体は実在するのかどうか。実在するからそれ自体としてある。そのようの思うが、それ自体として実在するその全体がいかなるものであるか、それははっきりとしない。はっきりと理解できないが、それが理解できないのは他者にとってであって、それ自体をそのように認識している個人はそれをそのようにその全体として理解しているのではないか。それ故に、それは実在する。実在する何かはそれが具体的である限り、いや、すべては具体的にあり、それ故にその全体がある。