その569

 人間にとって価値のあるものと、ライオンにとって価値のあるものは違う。関係性だけがある。関係したとき、その関係における主体はどっちか。つまり、ある人間にとって関係する何かは、ある人間が主体なのか、その関係する何かが主体なのか。いずれもが主体である。とある関係におけるその関係が縁起されたすべてはそれらすべてが主体である。ある現象を生まれているとき、つまり、そこにりんごが一個あるとき、その要因のすべてはすべてが主体である。そこに価値の優劣はあるだろうか。何かがあるその状況において、それがそのようにあるとき、あるものがそのものがあるその状況において優れた価値を持っていて、他に、そのものがあることをもたらしている何かはさほど優れた価値を持っていない。そんなことはあるのか。そのものがそのようにあることにおいてそのための要因のすべてが一律に同価値なのではないか。むろん、そのものがあるために必要不可欠な何かがある。それ抜きでは実在不能な何かは、それ自体として、その関係性の枠内では優れた価値をもつが、存在全般においては、つまり、関係性の枠をとっぱらえば、その優劣はない。存在するものはそのすべてが主体であり、それはそのようにある限りにおいて優劣はないが、殊、何かが縁起しようとするとき、存在全般において必要な何かとそうではない何かの選別が起こる。りんごが発生するための要因は存在全般にはない。何か個別の具体的なものに限られている。それ故に、そこに価値が発生する。それであれば、つまり、何かがあればその関係性の枠組みが生じることで、存在全般のうちで価値あり、価値なしの選別がその自然において生じる。