その311

 存在はそれがなんであっても外部依存性がゼロということはない。常になんらかの意味で外部に依存している。その時、何かの内部はその外部が同時に組み込まれた実在ではないかと考えられる。一個のりんごが純粋な内部循環だけでできているのではない。内部循環において、その外部の影響下にある。外部がそのまま内部であるとき、それは外部なのか。りんごの内部とはつまり、その構造のことではないか。骨格といってもいい。それがりんごであるために必要な骨格がりんごの内部として考えられ、その骨格のもとにさまざま物質的な現象がおこったうえで存在するのがりんごではないか。ある骨格をもとにできあがっているりんごの物質性はその交換性にある。外部と内部を入れ替えながら実在する。つまり、りんごは絶えざる流れのうちにある。存在の流れのうちにあるりんごはその骨格によりりんごであるが、その物質的な内情においては、私たちのする認識における外部も内部も超越した純粋さにあるのではないか。外部は即内部であり、内部もまた即外部であるがゆえに、外部や内部といった実態は、その骨格以外にはないのではないか。