その437

 知らない、知っている。それは意識的か、意識的でないかに過ぎず、意識的に知らないことも知っているから、相応の対応ができている。だから、生きていられる。身体の内部で起こっていることについて知らなくても、相応にその外部と巧みにやりあっているから、生きていける。生きていることのいくつもが無意識を土台にしてできあがっている。

 意識的な介入はある。身体のいかなるかがさまざまに解明されているきょうび、その見識をもとに、無意識への介入には相応の意味がある。むろん、身体のいかなるかは、つねに闇である。刻々とその変化にある。変化していく身体への意識的な介入は、人間の産んだ理論による介入である。それが正しく意味を見出すこともあれば、その限りではないときもある。