その429

 知っていることがすべて言葉になっているのではない。そもそも、知っていることとは何かを一概に定義することはできないのではないか。どうあれば知っているのか。言葉になったことを理解したとき、それは確かに知られている。知っている。しかし、言葉にならない現実も確かにあって、それを知っていることだってある。鮮明でなくとも、知っていることがあるのではないか。たとえば、鮮明に知ることとなったことの背景には、言葉になっていないが、それ自体を感じていることがあるのではないか。感じていて言葉になっていないことをまさに知っているのではないか。感じていることのすべてが言葉になることはないが、それはそのように感じられていて、そのように知られている。感じて知っていることがいくらでもある。それらのいくつもが言葉になっていないが、現実においてそう感じて確かに知られている。