その346

 存在にとって質とは何か。量が元あったうえで、その存在がその他とどんな関係にあるか、そのことを存在の質と呼ぶことができないか。そのものそれ自体だけでは質は生じない。何かとの関係性の上で生じるのが質ではないか。質とは、たとえば、人間の関係のうえではその感覚により処理される情報ではないか。情報のことが質であり、とあるりんごがどんな質なのかは、私たちにとってどんな情報をもたらし、実在するのかといったことである。質とは情報のことだといっても、どんな意味の情報のことなのか。情報とは存在の運動の根拠であり、情報があるから、何かが動く。与えられた情報をもとに存在はうごく。時空に書き込まれた情報のうちで、人間がその主観的機能によって捉えることになった世界の皮膜。それを存在の質と呼ぶことができないか。存在はそのほかの存在によってその感触が生みだされる。感触とはその存在と何かしらの主体のあいだに生じる実態であり、何かがあるうちに存在の感触もある。見えないがそれでもある感触であり、存在の質は、この時空におけるどこに刻まれた情報としてあるのか。その原因があっても、その原因にそのいどころがあるわけではない。実際にそれがそれ自体としてあるのはどこか。一つの実態というよりか、一つの実態がその全体として島宇宙のようにあるのではないか。飛び飛びに実在する何かにその全体があるのかどうか。りんごの質がどこにあるのか、そして、その全体はあるのかどうか。認識し切れるだろうか。認識のうちにある質のいどころがその全体かどうか、はっきりと証拠づけられるだろうか。認識内にある全体がほんとうの全体かどうか、それはいつ明確になるだろうか。