その337

 あるのか、ないのか。頭の中ではないところにあるか、ないか。人間がいなくても無限はあるのだろうか。人間だけが無限を感じているのかどうか。他の生命であっても、際限のなさを感じていたりするものだろうか。それは脳内の構造に依存する現象であれば、いつしか解明されるかもしれない。なぜ人間はありもしない無限を感じることができるのか。人間のみならず、他の生命であっても、無限を感じることがあるなら、それは脳内の構造に由来したものかもしれない。

 脳が生み出したことはそのまま現実として捉えられるが、いったん現実と捉えられたことが頭の中だけのことで、頭の外にだしてそのままあてはめても具合が悪いことはないだろうか。無限を感じる心の実在は否定しないとしても、それは同じく神を感じる心の実在と同一の心のあり方、あるいは、同一の脳内の構造のあり方を指し示していないだろうか。一言でいうならば、脳内において生じる妄想が無限や神を生んだのではないか。妄想を排すれば、あるのはただひたすらなる現実である。現実とは何か。それは妄想的な人間を含むが、人間の妄想は確かに現実としても、非実質的な現実はそのすべてが妄想として、架空の話と捉えるようにしたほうがいいのではないか。それとも人間には特殊な力が備わっていて、非実質的なことも確かに起こりうる現象なのか。妄想は妄想ではないのか。妄想を妄想と決めつけるほうが妄想的なのだろうか。