その338

 妄想が妄想なのかどうか、その判断のためには情報がいる。情報が不足しているから妄想と捉えられることがある。情報があれば、妄想と思われたことでも、妄想ではない現実になる。現在において妄想であっても、1000年後には現実のことがあるだろうに、妄想か否かの判断は情報に委ねられているのであり、かつ、私たちの理解力にもまた委ねられているのである。理解されたことが増えていけば、妄想が現実となる可能性がある。妄想かどうかの境目はどこにあるのか。どこにもないのかもしれない。境目それ自体が妄想が生む現象ではないか。確かに境目はあるが、それ自体が私たちが妄想的である証左ではないか。