その160

 時空の流れがあるなかで、存在するものはその流れそのものである。存在は渾然一体となって実在すると考えられ、存在するものごとすべてを一個の原子と考えることができないか。一個の原子の中で動き続けている何もが相互に関係しあっていつつも、無関係のものごともある。何かひとつの領域を定めて認識したときに、一定時間におけるその領域の運動と関わりのないことがあるのではないか。領域とは、時空の広がりにおける限定性であるが、存在の関係性は一見すると閉じていると考えられる領域の外部にも、領域内のできごとに影響を与えていることがある可能性はつねにある。そう考えていくと、領域の設定自体が幻想的に考えられる。とはいえ、すべてが繋がりあっているとまでは言い切れない。存在は限定合理性のうちにあるのではないか。関係しあっている領域が見かけを超えて存在している。領域を個物として捉えることはできないのではないか。りんごはりんごとして限定されているように見えるが、見える以上の関係性にあるのがそのりんごではないか。見かけ以上の広がりにある存在するものごとの関係性は認識され得ない領域を常に持っていると考えられる。個別の関係性により成立する事物は、何があるかよりも、いかなる関係性があるかが、その存在のあり方を示していると考えられる。りんごがあるとき、そのりんごを存在させるための関係性がいかにあるかを把握することが求められているのではないか。