その90

 ゼロから1になり、またゼロになる。りんごの一切がないところにりんごはない。りんご性ゼロの地点が存在の流れの中にある。しかし、いつしかりんごの芽吹きがある。ゼロから1となった。ゼロとは何か。ゼロ以前のマイナスが存在の流れの中にあるのではないか。存在にとってマイナスとは何か。存在するがマイナスであるとは何か。マイナスとして存在するものがあるのか。芽吹いたりんご以前に、その地点にあったのはりんごのマイナスではないか。りんごのマイナスとはりんごの不在だが、りんごが新しく出現したとき、そのりんごの不在だった地点のすべてをそのりんごのマイナス地点と考えられないか。マイナス地点にはりんごの芽吹きの可能性が宿っている。存在のあらゆる地点において何かしらの可能性をはらんだ上で何かしらの姿の実在がある。バナナが実在する地点にはりんごはない。りんご性ゼロの地点においてはりんご性ゼロと考えるのではなく、りんごの不在とはりんご性のマイナス地点と考えた方が妥当ではないか。つまり、空である地点において何かがあるとき、りんごが実在すれば、りんご性のプラスであるが、りんごが不在であれば、その地点においては、りんご性のマイナスである。つねに可能性でしかない、あらゆる地点における実在性は、存在するそのものの実在はそれ自体がプラスと考えられ、その他実在するがその地点にないものは、すべてがゼロではなくマイナスと捉えるべきではないか。なんとなれば、ゼロとは無であり、実在可能性がゼロであることを意味すると考えられるからだ。ある地点にないからといっても、他になら実在するものは、その地点にとって、その物質性においてゼロではなくマイナスと捉えた方が妥当だと考えられるのは、その地点にりんごがないことは可能性としてはるかに遠ざかっているに過ぎないと考えられるからだ。けして可能性としてゼロではない。