その44

   いずれにせよ、存在するものごとはそのすべてが意味を秘めたうえで実在している。存在から意味を奪うことはできない。私たちに気がつかれることのない意味がある。可能性としては永遠に気がつけない意味が存在のうちに秘められていると考えることのほうが妥当ではないか。存在とはそのすべてである。存在のすべてとはその運動であることから、截然とここまでということはできない。存在そのものはそのものとして、そのすべてを全うしているのだから、存在の側にあるなら、存在のすべては自明であると考えることもできるが、では、私たちは実存的にどこまでがそのすべてなのか、明らかだろうか。私たちには理解できないからといっても、他の存在であれば、その全体性について理解をするものがあるかもしれないが、存在の一部である私たちがそのすべてがどこまでかを把握し切れていないことだけを取り出しても、存在のすべてが明らかではないことが自明となる。