その45

   一個のりんごでも明かし尽くされることがないのは、明かそうとする行為自体が関わろうとするりんご自体がすでにほかのりんごである事実をどう受けとめるか。明かそうとする対象と明かそうとする行為が物質的な次元で、いかなる関係性であるか。明かそうとした一個のりんごのいかなるかは、明かそうとした主体である私たちと明かそうとした対象であるりんごとの関係性のことで、私たちが知っているのは、徹頭徹尾、りんご単体のことではなく、りんごと私たちの間に生まれた関係性の様子を捉えて、りんごを知っていると感じているのではないか。りんご単体のことはりんごそれ自体でないと経験できない。自らが自らのことしか体験できないのとまったく同じで、りんごもそのりんごにしかりんごの経験はできない。経験して知っているのはそのものそれ自体でしかない。そのものであることがそのすべてではないか。外部から知っていると考えるとき、外部と対象のあいだに生まれた関係性について思考しているのであり、それはそのものそれ自体ではない。