その392

 真理かいなか。いや、真理とは何か。それが真理であるなら、まさしくそれが真理でなければならない。完全に正しく、それがだれにとっても間違いのないことであることを真理としたとき、それが真理であっても、それを真理と考えない人がいても真理は真理として実在することになる。真理はいついかなるときであっても正しいことである。認識されることのうちでどうやっても覆ることのない事実を真理とすれば、個別にそれぞれある事実もまたそれがそのようになるといった意味で正しいわけだが、それは理ではないといった意味で真理ではなく、真実である。真実を寄せ集めて行ったとき、そのうちのいずれかが真理なのかもしれないが、それが真理であるために何をもってそれが絶対の真理であるとされるのか。その保証がどこにあるのか。どうやれば真理は真理であり続けるのか。それが真理であるから永劫変わらない価値をもつわけではない。真理であると断定されようとされまいとそれが真理であるなら、その価値は、その自然において不変不動であるはずだが、その事実を私たちは、その究極において知りえないのではないか。私たちがいなくても真理は真理としてあるはずだ。それが真理かどうかの判断の実在は真理との関わりにおいて実在しないのかもしれない。判断されて真理であることはつねに間違った判断を下されたといった可能性にある。それが真理なら間違った可能性は完全にゼロのはずである。