その569

 すべてがつながったまま、それでも動いているといったことがありえるのかどうか。すべてはつながっておらず、さまざまな関係性が瞬時に更新されていっているのではないか。一瞬のうちにあるすべてはしかし完全に繋がりあっていない。いや、完全に繋がりあっているが故に、すべてがあるのか。すべてがあるとはいかなることか。すべては言うまでもなく、認識の外にある。認識の外にあるすべてがいかにあるか、そのあり様は、認識の外である限り、把握不能となる。しかし、世界についての認識は不可能から可能へとなっていく。世界の全容が明らかとなった瞬間、初めてすべてがつながっているか、つんがっておらず、途切れ途切れにあるのかが判明する。いや、それもない。つまり、認識に終わりはない。すべてがつながっていることが明らかとなったとしても、いつしか、その節は覆されるかもしれないし、永遠に覆されないかもしれない。いや、明らかとなったといった思い込みでしかない可能性からいつしか逃れることができるのか。できないのではないか。