その573

 合理性が我々を媒介としたとき、世界に起こっている現象を表現する。合理性があるから、我々は世界を理解することができる。あることをあると認識するのではない。ある世界がいかにあるか、それを認識するための機能としてあるのが合理性だ。合理性とはつまりテクノロジーだ。人間の外部にある機能として合理性がある。むろん、合理性は人間内部の現象であるが、その合理性が世界とそのまま接続する。我々の合理性は世界とそのまま接続している。我々の合理的な認識が世界を合理的にするのでは毛頭ない。我々が世界を理解するとき、それが合理的に為されるのだ。自然現象としての合理性が我々に宿っている。それは我々を通じた世界認識のテクノロジーであり、言語による合理性は言語による構造物であり、言語で構造化された合理性は我々の主観を通じた自然の現象である。客観のみが真実ではない。主観もまたそれぞれの主体が表現する対世界の客観的事実である。