その359

 純粋に存在があるのであれば、すべてはその順序通りに起こっていると考えられる。そこでは、認識通りに存在がその変化にあることを意味する。認識はその合理性や論理性を旨とすることから、そこには順序があると考えられるが、実際に世界の全てがなにかしらの順序により出来上がっていると考えていいものか。そう考えることができても、それはそう考えることができるだけに過ぎない可能性がある。実際には、順番を持つことなく、無規定的な運動をすることで世界があるのかもしれない。それは認識上、カオスであることを意味する。