その304

 存在している物事のうちには認識内にあるものと認識外にあるものがある。認識場は認識外の存在の影響を受けるが、認識外の存在からの影響を受けた認識場における認識内存在のうちに認識外存在がすでに含まれると考えられる。存在において、それが認識内なのか認識外なのかの判断は容易にはできない。はっきりと分かれない。認識とは確かにそれは実在するが、その内実は不明瞭である。とはいえ、何事につけて不明瞭なのではない。認識されていないことははっきりと認識されてないだろうし、認識されていることは事実としてはっきりと認識されている。それが翻ることがあっても、認識内のあることは認識内にあると考えることができる。認識をもとに考えを進めていく習いにある私たちにおけるその実存は、それがどこまで確証のあることか、最後の最後では分からないことになるが、そう感じて思うことがあれば、それは認識として持っていることになる。でなければ、認識の持ちようがない。各人が信念のように思っていることがあれば、それはすなわち真実であり、認識内存在である。内か外かをはっきりと分けることができない側面もある認識にはグレーな部分がある。それを認識不全領域と呼ぶことができ、認識不全存在とは、認識されているのか、認識されていないのかはっきりとしない、私たちと存在のあいだにある関係性のことである。認識内存在と認識外存在と認識不全存在に分けて考えることができるのが、私たちの存在に対するメタ認知である。認識不全存在とは、私たちのする認識において可能性の領域にあることを意味する。事実ではないが、可能性として考えられることがあるが、それは認識されようとしているが、完全に認識として持つことができない以上、認識不全存在のうちに入る。認識の外にあるのではない。