その335

 起こることしか起こらない。存在のもたらす反応にはその限りがある。そのことを存在におけるシステムと考えられないか。存在はそのシステムのうちにあり、それゆえにその限りがある。ある反応が起こるとき、その反応がもたらす現象の把握における数値は無限ではない。何かがあることはつねにその限りにおいてである。限りにおいてあるからこそ、それは存在する。存在の運動は規定された運動である。その規定とは、それがシステムのうちにあることを意味する。システム内存在である何もが無限の数を抱え込むことはない。果てはある。だからりんごがある。水が流れる。すべては時空間におけるシステムではないか。そうした存在を規定しようとして働く数があるなら、それは有限でしかない。頭のなかにある無限が実際に実在することはない。頭の中にあるといっても、その無限を取り出して眺めることはできない。観察することのできない無限は永遠に実在しない。