その333

 あるものがなくなる瞬間がある。完全になくなった瞬間がいつなのか、それは認識外にあるのかもしれない。炎が完全に消えた瞬間は、私たちの認識の中間領域にある。認識とはその広がりにあり、それは中間領域に属する。ではそれは、何の中間なのか。あることと、ないことか。あることとないことの中間において実在する私たちの認識は、あるのか、ないのか、そのいずれとしてしか把握できないうえに、あるのか、ないのかは、自然の側に実際にあるのみで、それは認識を超えている。認識を超えた瞬間を捉えようとするとき、私たちはいずれに属するのでもない中間領域を設定する必要がある。観察領域といってもいいのかもしれない。観察することで認識されることは、その限界にある。あるようでいてないし、ないようでいてある領域を設定しなければ、認識に置き換えることができないが、それではっきりと認識したことにはならないが、認識におけるプロセスとして、中間領域は存在することがあってもよい。結果的に何を認識するか。いかに認識できるか。最終的には、中間を排したいずれかの事実を捉えなければならない。それは、ないならない、あるならいかにあるか、それを完全に認識し尽くしたいところだが、認識の完全性をいかに証明するか、その問いがつねについてまわる。そのことをどうするか、究極の答えはないのではないか。