その64

   事実がある。存在の本来性である事実と、私たちが存在を認識したときにできあがる事実。いずれもが事実であるとき、いずれもに理がある。いずれもに理があると思うのは私たちの主体性である。存在の本来性であるフュシスは、理として存在しているのか。私たちの認識からもたらされる事実は理である側面があるのは確かだが、フュシスが理を孕んでるかどうかは、わからない。