その115

 像がある。私たちにとってはそれが何であっても、像に過ぎない。石であっても、その実体は認識主体の側からすると存在し得ない。そのフィシスからすると何にもが実体である。実体であるそのものは一瞬の停止も持たない。停止しないものがそれ自体であるとき、それ自体が内的に完成された実体を持つか。なぜそのものが動的であるのかはそのものだけを検証しても明らかにならないのではないか。万物が流転することの根源にはエネルギーがあるのではないか。像とはエネルギーが姿を変えたものではないか。