像がある。私たちにとってはそれが何であっても、像に過ぎない。石であっても、その実体は認識主体の側からすると存在し得ない。そのフィシスからすると何にもが実体である。実体であるそのものは一瞬の停止も持たない。停止しないものがそれ自体であるとき…
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