その4

 個物は存在する。りんごはりんごである。りんご以外の何かとりんごは区分けされる。区分けが成立するのは形式の違いによるのではないか。りんごにはりんごの形式がある。りんごとはりんごの形式のことである。形式の持つ閉鎖系は時間を個別に抱えているのではないか。時間がゆがむのは個物の形式の差異によるのではないか。世界が全体として安定しているのはなぜか。

 差異の集合である世界は平衡状態にある。流れである時間は存在する個物の運動性の影響下にあるのではないか。個物の運動が時間を生んでいるのではないか。個物が存在し運動をすることで時間が流れているように感じられる可能性がある。時間はないが、個物の運動が存在することで時間といった概念がある。四季が巡る事実は覆らない。物質的な四季の巡りが存在することが時間を生む要因になっている。生まれた時間は非絶対的であり、その流れのままを捉えることは未来において可能だろうか。りんごのうちを流れる時間をリアルタイムであぶり出すことはできるのか。外部からの客観視ではない、そのものそれ自体をそのまま世界に投影することができるのか。すでに万物はその時間性を世界に投影しているが、わたしたちはいつもそのことを知らないでいる。