事実はつねに期限つきだ。永遠の時間があるとき、たとえばいまある世界の次元が終わりを迎えることは十分に考えられる。いまあるような世界が永遠なる時間のうちに続くことは考え難い。まず先にある永遠を想定したとき、世界は非線形的にある。つまり、永遠は一本の直線で描ききることはできない。連続していない。世界の永遠性とは、不連続なうちにある。むろん、世界が連続であったり、不連続であったりするというのは、認識内における話ではないか。世界の永遠性とは、私たちの認識外にある。認識外にある現象には、連続であるとか、不連続であるとか、そんなことはまるで関係がない。関係がないというか、関係のあるなし、それ自体ではない。あるものがただそのようにある。永遠を前にあるものは沈黙でしかない。いかなる言葉も、永遠を前にしては、期限つきの有限性を秘めた現代的な実質でしかない。