その500

 何があるのかは分からない。何かがあるが、それはその実在の途中における話に過ぎない。あるにはあるが、それがいかにあるか、その一部始終の説明が完全になされることはない。なされた説明の外にさらなる説明が潜んでいる可能性にある。可能性を消し去ることはできない。思考する主体として、何かを認識するとき、認識の限界がそこにはある。認識の限界とは可能性を否定できないことにある。完全に確かな認識を持っているかどうかということを証明できないといった限界でもある。説明不可能性がつねに認識それ自体とセットである。完全な認識はあるかもしれないし、ないかもしれない。そのいずれであるか、判断する根拠がどうやっても持てない。説明不可能性の前になす術はない。