その391

 信じるか信じないかではなく、事実か事実でないかといった捉え方があるが、事実を抑えていって知ったからといっても、それで理解しようとしていることが理解できるわけではないことがあるとき、何かしら考えていき、こうではないかといった考えを持つことになる。そこに信念が発生する。しかし、信念とはあくまでもそうかもしれないと信じていることであって、事実ではない。事実ではないが、そう信じていることそのこと自体は当人の立場においては事実である。ある人がそう信じていることが事実なのであり、そう信じられていることの内容は事実かどうか定かではない。

 事実をすべてかき集めても真理には到達しないのかもしれない。事実とは可能性のことも含むように、その意味する領域が広いというか、存在していることすべてについて、それがそのようにあるといった意味で嘘も偽りも含めてそれらは事実ではないか。なので、嘘や偽りも含む事実をどれだけ寄せ集めても真理には達しないのではないか。いや、いったんすべての事実をかき集めることから始めるべきなのかもしれない。そうしたあとにほんとうの真理の精査が可能なのではないか。