その364

 風が吹いていると書いてあって、実際に風が吹いているとしても、その中身までは書かれていない。つまり、言葉はそれが文章になっても、それ全体として記号なのではないかと。書かれたこと、語られたこと。その向こうに真実が拓かれている。記号には記号の意味がある。枠組みを捉えるための機能として言葉がある。あらゆる枠組みは枠組みに過ぎない。それはそれがりんごであることを意味するだけの話である。それが何であるか、それを言葉は説明するが、その説明が実際にどうなのか、それは実際の現場において起こっていることがそのすべてである。

 それぞれの現場に紐づいて存在する言葉がひとつひとつあるのではない。その意味で言葉はとても貧弱ではないか。