その330

 場とはいえ、それは点ではない広がりである。広がりである以上、その領域内では波としてなにかが実在する。同時に二つの点は打てない。一つの点も打てないのではない。しかし、場を定めて考えることがある。場とはたとえば、一個のりんごのことだ。一個のりんごとしてこの時空間に場を定める。疑いようのない場がりんごの姿としてある。個別の現象が起こっているところのことを場と考えたい。どのりんごも個別の現象であり、それは場である。一個のりんごを個別の現象とするか、場とするかで、認識のあり方に違いがある。しかし、実質的に起こっていることが起こっているのであって、それがどのように起こっているかを捉えるときに、場と捉えるか、個別の現象と捉えるかで、あくまでも私たちの認識のなかで違いが生まれるに過ぎない。それは一個のりんごをどう見るかの違いである。どこにフォーカスを絞るか、その違いが認識の違いを生む。起こっていることが起こっているに過ぎないが、その起こっていることのどこを取り出して観察するか、その違いが、場と捉えるか、個別の現象と捉えるかの違いにはある。