その321

 存在が認識内だけにあるのではない。認識外にも存在することで認識内にも存在する何かがある。存在しているものにおいて、他の何かがどこまで必要なのか。それ抜きでも存在するものは多いはずだが、しかし、現に存在は一通りの仕方である。それ抜きで存在するかどうかについて考えても、起こることが起こっているのが世界であり、その一回性である。

 仮にこうだったらどうなのか。そんな話になってくるが、その話にどこまで意味があるか。現に起こることが起こるしかないなかで、こうだったら、ああだったらといっても、そうなることはないのではないか。しかし、テーブルのうえにあるりんごにとって不可欠の何かはやはりあり、そうではない、りんごにとっては必要ではない何かがあるのかもしれない。その現象が現に起こっているのかもしれない。であれば、仮にこうだったらの話には意味がある。考えて理解するための方法の一つとして仮の話はありだ。

 まず先にあるのは起こっていることで、その集積が世界となっている。その世界がどのようにあるかについてをあれこれと思案しながら考えて認識しようとする。その認識が世界を変えていくこともある。それは世界の見方が変わることでもあるが、世界そのものが変わったのではない。それでも、認識の変容により世界への働きかけが変わることはあるのだから、私たち人間のあり方が世界がどのようなものであるかに影響を与える。それはどんな波が立っているか。どんな風が吹いているかと同じ次元の話ではないか。私たちのあり方が自然を変えるように、波のあり方もまた自然のありようを変えていく。私たちのありようがまさに自然なのであり、それは雨が降ることとなんら変わりはない。